バイクツアー、春の嵐(石川)

珠洲市の狼煙町で星を眺めている。
…といわれてもピンと来る人は皆無であろう。
その聞き覚えのないこの土地は、
石川県の能登半島の先端に位置する。
遠い昔、平時忠という男がいた。
「平家にあらずんば人にあらず」と京洛を闊歩し、
この世の春を謳歌したこの男は、
源平合戦の後、捕らえられ、流刑地としてこの能登に配流された。
そこより少し奥に、狼煙町は位置する。
そして、ここより先に陸地などはない。
海が広がるのみだ。
そんな物悲しさの残る静かな漁村で、
波止場に佇み、友人と星を眺めているのだ。
顔を上に向けると、まるで吸い込まれるような錯覚を覚える満天の星空。
海を眼に向けると、まぶたを閉じているような、闇。
自然と二人は言葉を失い、互いにもの思いにふける。
どれほどの時間を、そこで、そうしていたのであろう。
冷たい海風が頬を撫ぜ、
はっと目覚めたような気分となり、
ようやく、行こうか と言葉を発することができた。
そう、明日も早い。眠るとしよう。

朝、バイクを走らせ、山を超えると眼下に
島影すらない一面の水平線が広がる。
その絶景に息を飲み、ただひたすらにバイクのアクセルを開け続けると、
海はどんどん近づき、空と海の色も近づき、
その境界線がなくなる頃、家屋が見え始める。
そこにはコンクリートで作られた無粋な建物などない。
海風から身を守る矢来を立てた、木造の旧家だけが広がっている。
そんな、眠りこけた睡蓮を思わせるノスタルジアに
時が止められた空間を、バイクだけがただ進んで行く。
そしてまた山に登り水平線、そこを下るととまた、小さな漁村。
何度もくりかえさせるノスタルジアに、やはりバイクだけが進んで行く。
そのまま、道を進み続けると、
ゆるやかなカーブの向こうに、真っ白なトンネルが見えてくる。
その長い真新しいトンネルに入ると、
ひんやりとした冷気が心地よく体を包んだ。
そしてトンネルを抜け、道路の先に水平線が見えたと思った瞬間である。
友人のバイクが唐突にブレーキランプを残し、
残像のようなアクセルターンをかまし、対向路面の路側帯に駐車したのである。
マシントラブルか?そう思い、ベスパもアクセルターンをかまし、友人のバイクに横付すると
友人はほくそ笑み、トンネルの方を指さし、こう言った。
「なぁ、冒険しねぇか?」
その指の向こうに見えたのは、
ああ、、、立入禁止のトンネルである。

地名をみると曽々木隧道とある。
曽々木とは神代の古い時代のアイヌ語に起因する。
「土くずれがして地肌があらわれている」
その名が示す通り、近代より昔は崖にへばりつき通行したという難所中の難所であり、
幾多の命が波にさらわれ、親不知という別名がある場所である。
ガイドブックによると現在は、遊歩道が完備されているというが、、、、
ここからは皆さんと、共に進んでいきたいと思う。

柵を超えると、早速廃墟がお出迎え。
非常に期待が持てる。

そして、もちろん進むべき道はわかっている。

洞窟に入ると、エグられた空間に白い光が差し込む。

その空間には隧道が、秘密基地のように存在していた。

海と空を切り取り、歩を進める。

隧道をくぐり抜け、その先はあるのだろうか。

洞窟があった。
100m程進むと行き止まる。
そこには観音像がひっそりと起ち、
コウモリの大群が、、まさに恐怖である。

道に戻り、洞窟を抜けると

そこは遊歩道とは名ばかりの廃道であった。

手摺に頼るなど、ここでは愚の骨頂である。

振り返れば落石。

廃道崩壊により、海岸よりアプローチをかける。

波せまる、そんな場所である。

隧道に再到達、逆サイドから入り口を眺め

門の隙間から入り口を撮る。手掘りである。

山の圧力に隧道はひしゃげ

海の風に、鉄は錆びる。

落石に、柵は崩れ、

その内臓を剥き出しにする。

落ちれば死。
わかってはいるが、その衝動を抑えきれない。

思えば遠くへ来たもんだ。

終わりは近い。
整備された海岸が見える。

ここから先は観光地である。
柵を超え、そのような気持ちになるはずもない。
さぁ、戻ろう。
すると、友人が唐突に手を眺め始め、
にやりとほくそ笑んだ。
それは、海原雄山が弟子の脱サラをして作った
下賤な食べ物、ハンバーガーを食べ、
褒めちぎった後、照れ隠しに叫んだセリフであった。
「見ろ!!手が汚れてしまった!!!」
その後、輪島で柚餅子を食らい、
金沢にて茶屋町をバイクで疾走し、観光客を追い回し
21世紀美術館で芸術について語る。
素晴らしい1000kmの旅であった。
いつかまた、春に浮かされ行こうと思う。
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